人は何か見えない流れに乗って生きているのではないかと、最近ふと、思うことがあります。
上手く言葉にはできなのですが……
海流のような大きな流れがあって、一人ひとりその流れの中で生きている気がするのです。そしてその流れの中で、人は泳いだり、浮かんだり、もがいたり、時には溺れそうになっているのです。
その流れが合っていないと思った人は、その人に合う流れを捜し求めて渡り歩くのです。そして、おそらくその人が探し出せる範囲内で最適の流れに落ち着くのだと思います。
今、自分が乗っている潮流は、とても穏やかで暖かい流れです。「暖流」のような感じだと思っています。結構楽しく、それ程厳しい流れになることもなく、比較的自由な流れです。ここ4年ほどずっとその流れに乗っていました。居心地も良いので、自分自身その流れを気に入っていました。
本当に安定した流れのため、日々に変化はほとんどなく、一年間同じところをグルグルと回っているような感じもあり、多少の物足りなさも感じてはいましたが、その安定した流れに「もう少し」乗っていたいと思っていました。
4年間、「暖流」に乗っていましたが、自分の隣には常に「激流」のような流れもありました。退屈な時間を過ごしている自分は、刺激を求めて、時々その激流に足を踏み入れていました。でも踏み入れるのは足までにしていました。それも片足だけ。もう片方はちゃんと「暖流」に残していました。
ただ、その「激流」に魅力を感じている自分もいるのです。確かに、他にはない流れで、傍から見ていても流れが急なのは一目瞭然です。実際流れに入れば、もっと急な流れかもしれません。でもその分、自分自身に得るものや喜び、楽しさにも出会えそうな気がしています。それは、今の「暖流」の中にいては決して得ることのない種類の「面白さ」なのです。そこに、その「激流」の魅力を感じているのです。でも、その魅力もちゃんと両足を「激流」に入れないと感受できないのです。
このまま進んでいくと、おそらく年が明けてから、今まで通りの「暖流」に乗って過ごすのか、それとも「激流」に身を投じるかの選択をすることになりそうです。
ぬるま湯に浸っていた自分は、久しぶりに悩むことになりそうで、正直怖い気もします。自分にとって最適な選択はどちらなのだろう?
今度の正月連休は時間があるので、実家に帰り、冬の日本海を眺めながら自分の心と向き合いたいと思っています。
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